まずはこれを読んで頂きたい。

・その時折角心に芽生えた真実の絵の芽を涙をのんで自らふみにじりました。その後真実の芽はついに出ず、それがやっと最近6ヵ年の苦闘によって再び芽ぶき昨年の秋頃から私の軌道もはっきりして来ました。・・・・この軌道を進むことは絶対素人の趣味なんかに妥協せず自分の良心が満足するまで練りぬく事です。ー昭和34年3月 知人への手紙よりー
・私がこの南の島へ来ているのは歓呼の声に送られて来ているのでもなければ人生修行や絵の勉強にに来ているでもありません 私のえかきとしての生涯の最後を飾る絵をかく為に来ていることがはっきりとしました。-昭和34年3月 知人への手紙よりー
・私は紬染色工として働いています。有数の熟練工として日給四百五十円也、まことに零細ですが、それでも昭和四十二年の夏まで働けば三年間の生活費と絵具代が捻出できると思われます。そして私のえかきとしての最終を飾る立派な絵をかきたいと考えています。工場は海辺の小部落にあり 空気は清澄然し夏の工場内は地獄の釜の如く蒸し暑く海岸には真黒な南の鷺が餌を漁り断崖には奇異の植物あり南国情趣豊かです。-昭和37年12月 叔父への手紙よりー
・えかきは我儘勝手に描くところにえかきの値打ちがあるので もし御客様の鼻息を窺(うかが)って描くようになったときはそれは生活の為の奴隷に轉落(てんらく)したものと信じます
ー昭和40年頃 知人への手紙よりー
・私の絵の最終決定版の絵がヒューマニティであろうが、悪魔的であろうが、絵の正道であるとも邪道であるとも何とも批評されても私は満足なのです。それを見せるために描いたのではなく私の良心を納得させる為にやったのですから・・・・・
ー昭和43年 知人への手紙よりー
以上は田中一村という奄美大島で生涯を終えた絵描きの言葉です。
凄すぎてなんもいえねぇです。


※300円ほどで売っている絵葉書を撮影。
基本的に対象を細部の細部まで観察して描かれているのですが、出来上がるのは写真の様では無く何故か幻想的。あるいは現実とは幻想的なのか。
とかイタイこと言うとりますが
そんな画家が残した絵が見られる奄美パーク

空港から10分ぐらい

空港からはもちろん、市内からバスでもいけます。

園内には無料の展望台も。
※何度も来てますが、ずっと空港の監視塔的なやつだと思ってました。

北部のリーフ地帯が一望できます。あそこ釣れそうだな~

レストランもあり、鶏飯も食べられます。
ととのいました。
一村の絵を見ないのは一損。
ごめんなさい…
展望台だけ行きました。
次に行ったときは見ます。
多分…
ぜひ!
魚の絵とかほんとに細かくて凄いですよ!